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【訂正】3:44頃 「薩摩藩上層部の思惑(しわく)のもと~」と読んでいますが、正しくは「思惑(おもわく)のもと」です。5:52頃 1886年としていますが、正しくは1866年です。大変失礼いたしました。
メインテーマとして取り上げられた”坂本龍馬”がの名前が”阪本龍馬”になってたりするのも気になりました…😅
@@analysis0505 こちらは本のタイトルのため誤りではございません。
@@nihonshi-salon 書物によって名字の表記が違うこと教えていただき感謝です。ありがとうございます😄
近藤長次郎を語るなら土佐藩出身で高知城下の饅頭屋な出で、勝海舟とも面識ある人物と言わないと。あと、薩長同盟は坂本龍馬の功績とは誰も思ってないでしょう。中岡慎太郎や他の土佐・薩摩・長州の藩士とかも関与してないとできないでしょうから。ただ、その場に居たから裏書きを頼むような事にはならないのでは?
「1866年」ではなく「慶応二年」ではないですか?
司馬遼太郎の書籍は歴史資料として扱ってはいけない
坂本龍馬関連の記事を執筆した歴史作家たちはどう反論する?。
そうなんですよね(笑)まあ、戦後生まれの人間の殆どが司馬遼太郎が描いたフィクションである坂本龍馬を信じてますがね。私の爺さんたち(100歳以上)は坂本龍馬?よう知らん。と口をそろえて言ってました。なお、「薩摩の腰抜け」は合言葉だったようです。
史実風フィクションと分かってて読む分には面白いよね三国志演義みたいな感じ
どれもあてにならんよ🤣 明治維新を美化する為の裏側の御都合主義、、今目の前にいる人々とそんな変わらん🤣 現実が真実でよくねえ😆
池宮彰一郎もダメですか?
人はなぜ、歴史小説を事実と思い込んでしまうのか?
高々150年前の自国の歴史を紐解くのにすらこれだけの苦労。「歴史とは勝者による創作物」とはよく言ったものですね。
ちなみに動画内で使われてる「長州藩」も存在しませんしね。正確には「萩藩」です。歴史はみんながそう思い込むとそれが事実となってしまいますよね。
これが戦後体制です。歴史は勝者にとって都合の良い歴史に塗り替えられます。この件は長州人の私には常識です。坂本、いや司馬をもてはやした理由も良く分かりますよね。
30年ほど前だったか、その家の家主が急に「ここが亀山社中だった」と言って見学できるようにした(ただの古い家だが)。無料で見学できたが、募金箱が置いてあり家主がその前に座っていた(募金箱は透明な箱で小銭が入っているのが見える)。近所の住民達は、「誰も聞いた事がない話だ」と笑っていた。しかし今では、亀山社中記念館となっている。
行った事があります龍馬が付けた刀傷が柱にあってありがたく見た覚えがあります眉唾物だったとは・・・
類似した話しで京都市伏見に幕末の寺田事件の現場の船宿寺田屋がありますね。 鳥羽伏見の戦いで焼失したのですが、船宿寺田屋が造られて人気観光スポットになりましたね。歴史愛好者の抗議で京都市が調査して家主が白状しました。 再建した物として、大変な人気です。 坂本龍馬絡みです🙇
@@田中功-i5q 刀傷?家の中まで入ったのは開業当初のみですが、当時はありませんでした(少なくとも寺田屋のように説明はなし)。後からそういう話になったのかも知れません。
@@中野善行-h6t 寺田屋に行ったのは40年程前になります。「司馬遼太郎の小説は史実に基づいて書かれている」とマスコミが紹介していた頃です。皆が触って黒光りした刀傷や風呂場を見て「よく当時のままで残してあるなぁ。司馬氏の小説は事実に基づいているなぁ」と感心した憶えがあります。今は「入場料返せ」としか思いませんが・・・
@@おこ-b4w 行ったのは確かに30年くらい前です。確か床柱か何かに傷があり案内の人だったか付箋のようなものだったか忘れましたが龍馬がつけた刀傷だと説明がありましたよ。
なるほど そうなの〜 と思う事ばかり面白いです。60過ぎてやっと自分の時間が持てるようになり今年からユーキャンの「大人の学び直し日本史講座」というのに挑戦しています。このチャンネルも見させて頂き、勉強させて頂いてます。わかりやすく家事の合間にパッと見て気分転換させて頂いてます。ほんと楽しいです。ありがとうございます😊
英国側の資料から竜馬は諜報要員として雇われ活動していた事実が明らかになり、紹介している本も近年出てきました。「研究者が手を出しにくいテーマ」であるというのは、単に司馬遼太郎史観に邪魔されるだけではなく、外国による日本国内での工作を広く知られたくない人々の影響、工作があるのではないでしょうか。
とても勉強になった
日本史の二大創作キャラと言ったら坂本龍馬と明智光秀龍馬に関する創作の詳細たくさん説明してくださりありがとうございます
歴史作家の早乙女貢先生が何十年も前に坂本竜馬や高杉晋作の虚像について書かれていました。吉川英治先生の宮本武蔵なども大衆小説としては素晴しい作品ですが武蔵の半生が余りにも虚像過ぎて歴史的観点から正しく知ろうとするには無理があります……そう言う意味では司馬遼太郎先生の坂本竜馬像も同じと言えますね。
誰がとかでは無くて小説は全部フィクションです。僕は読まないです。それよりも歴史研究家が書いた本の方が読んでて楽しいですよ。
@@あかいろ-w1o /いやぁ~それはある意味真理ですね ♪ そう思う僕もいるのですが……
@@山本裕介-q9g 幕末なら山村竜也さんの本がお勧めです。言うまでも無いかも知れませんが。どちらかと言うと新撰組寄りですけど他の事でも詳しくて内容も面白いですよ。
@@あかいろ-w1o /わざわざ教えて下さり有り難うございます! 山村竜也さんの著書は読んだ事が無いので 早速探して読んでみます ♪♪
歴史小説では著者あんたは盗み聞きしていたのかと思うほど、個人的な会話が描き込まれていますからね。
概要欄の訂正も含めて、素晴らしい報告動画でした。
大学で「亀山社中についてその設立の経緯と歴史、果たした役割についてまとめてください」って課題でてるからこの動画まで辿り着いたのに、、、、どうすればええんや笑笑
明治の御用学者の創作である と言ってあげればよろしい。なお単位についてはもらえないかとw
新説を書いてあげたらいいかと思うw株式会社?それは「創作」ですとw課題なので、ちゃんと資料名も書かないとダメだからねw
鹿児島の歴史家原口泉さんの著書 龍馬を超えた小松帯刀が、古文書調査に基づいて論証されております🙇薩摩藩が秘密工作として亀山社中を造り、社中頭に大杉宗次郎を抜擢しておりました。 坂本龍馬は長州藩と渉外を担当です。 大杉宗次郎は内紛で龍馬に殺されました🤣
むかしNHKが歴史スペシャルかなんかの番組で「坂本は薩摩藩から賃金を得て間者として長州の内情を探っていた」といった当時の領収書や手紙などを元に歴史考察した番組があったが高知県民や行政からの強い抗議があり、謝罪まではなかったものの、これ以降この考察を推す番組は見られなくなった竜馬の役割は「竜馬がゆく」以降、高知はもとより日本近代化の礎としてのヒーロー的存在でいることだ
そのような程度の人物に木戸孝允があのような手紙を書くだろうか?そして維新後に飲み友達になった山内容堂に坂本龍馬の話を聞くのだろうか?さらに死ぬ間際まで手元には龍馬の書簡の下書きを大事に保管していましたよ。(これは近年TVのお宝番組で取り上げられて新発見と騒ぎになった)
@@sakawayo608 確かに、木戸だけでなく西郷や板垣、中岡、武市その他大勢の幕末の大スターたちが竜馬を褒めたたえたと言われていますね、そういった私信をいくつか見つけた司馬が「坂本竜馬像」を作り上げたのかもしれません、通説とされている船中八策も大正以降に書かれたものではないかという説が濃厚らしいですし。亀山社中も実際に竜馬がかかわってなかったかもしれないという方もおられる(曖昧まぁ、歴史上の人物が通説とはかけ離れていたということはよくあることなので、私としては「そうかもしれないね、見たわけじゃないからわからんけど、、」くらいの雰囲気でいます。
@@paparos さんへ。幕末の差し迫った状況から、少し安堵の雰囲気が流れたその一瞬に起こった事件が龍馬暗殺でした。明治維新後3年も経つと幕末が遠い過去のように感じたと、志士として活動されていた皆さんが異口同音に述べています。そうした風潮の中から実はあの人が・・ということで、龍馬もヒーローに祭り上げられていったと思います。(龍馬伝のようなもので)でも事実を知っている人がそれを否定したら、それ以上は拡散もしなかったと思います。
幕末維新の人物で坂本龍馬は過大評価されて、榎本武揚は過小評価されている印象
榎本さんもですが、小栗忠順など他の幕臣も過小評価されてるのが残念で仕方ないですね。個人的には幕臣が大好きです。
箱館戦争は榎本武揚抜きでは語れないはずなのに、これまた司馬さんの『燃えよ剣』の影響で土方歳三に持っていかれてしまっている。
榎本さんは明治時代からが本当の活躍の印象。小栗さんの死去は日本の損失。
現代人の坂本龍馬像って殆ど司馬遼太郎(とその小説に基づく映画、ドラマ)が作ったのでしょう。今、河井継之助の「峠」を読んでるんですが(小説なんだから当たり前)相当作者の主観で書いてますよね。
『峠』の多くは、今泉鐸次郎著『河井継之助傳』のコピペです。
龍馬さんは下級武士の次男坊だから土佐藩を動かすのは物理的に無理。現代でいえば大企業のパートタイマー社員。そんな龍馬だが勝の紹介を機会に西郷ドン、小松帯刀、横井小楠、松平春嶽、桂、高杉、久坂、大久保一翁、桐野利秋、武市、後藤らと交友関係があったのは凄い。
勝と龍馬、ハッタリ同士で馬が合う
勝海舟仕込みの黒船操船術で薩摩、長州、巻き込み、最終的には、郷士のせがれが、上司の後藤を動かしたというのが痛快じやありません?
現在の龍馬の史実が明治になってからの土佐藩のイメージアップの為に書かれたのは知っていましたが、紀州藩との裁判や武器商人のイメージが強かったので腑に落ちました。
土佐藩のイメージアップに坂本龍馬が登場したんじゃないよ。日露戦争のプロパガンダに坂本龍馬が利用されて世間が知ったんです。坂本龍馬 田中光顕、昭憲皇太后で調べると分かると思います。時代的には汗血千里の駒の約20年後ですけどね・・。薩長同盟も船中八策も勝海舟との出会いも書かれていない汗血千里の駒に人気が出たとは思えませんよ。坂本龍馬も乃木希典にしても司馬遼太郎は面倒の種を残したもんです。
@@hide196944 そうでしたか。薩長土で土佐だけ明治政府内での議席の少なさに龍馬主人公の物語が書かれたと、書物で読みました。歴史は面白いですね。
@@さん太-i5b さま土陽新聞版では、坂本龍馬初登場は第4話であり、全68話中26話で登場しなかったそうです。また、竜馬没後の話が10話近く記載されているそうです。没後は板垣退助と後藤象二郎の話なのですが、作者は板垣退助の関係者です。また、伊藤博文による板垣後藤欧州視察で落ち目になった事を不快に思っていた人だそうです。なので、土佐自由民権運動家の自称土佐勤王党の正当継承者を主張する自由党板垣・後藤の為に書かれた物語で正しいと思います。単行本化の際、編集者により板垣退助も後藤象二郎も退場させられたそうです。板垣退助、後藤象二郎、中岡慎太郎、武市半平太らに関してはは地元の年寄りから祖父母らからこんな話を聞いたなんて聞く事がありますが、坂本龍馬に関しては聞いた事が無いんですよ・・。坂本龍馬生誕地の石碑もありますが、ココ!ではなくて、この周辺かな?って程度です。汗血千里の駒は明治16年新聞登場なので当時話題になっていたら生家の場所もハッキリと残ってると思われるが、その程度です。板垣退助の為に汗血千里の駒が書かれ自由民権運動の象徴になり日露戦争のプロパガンダに利用され大正デモクラーの自由主義の象徴となり高知市桂浜の青年有志による竜馬像に繋がると思います。戦中の金属供出では仙台城の初代伊達政宗騎馬像も供出されています(不使用で終戦まで放置、現在は1965年寄贈2代目)が、竜馬像は供出命令が出されていない事も政治のプロパガンダの名残りか?とも・・。
幕末の坂本龍馬の実像は、現代なら竹ニャカフェイ蔵…なん…やろか🙄🤔😵💫❔
中岡慎太郎が革命家と言えるのにたいして、坂本竜馬は幕末の混乱に乗じた単なる商売人でしかないと思っています✋ 本人も政治や軍事に興味を持っていなかったし、勝と行動を共にしていることも彼の政治的な立場を表しているでしょう。比して中岡慎太郎の評価が低いのが残念ですね。
でしかないは言い過ぎ。彼がどれだけ身分差別なくしたいと願ったか文書に残ってるよ
司馬遼太郎の小説の存在が大きいですね。しかし、今では「国盗り物語」はファンタジー歴史小説に近いものとなっています。斎藤道三は親子二代にわたること、北条早雲は老人ではなかったし名前すら伊勢宗瑞であったことなどが史実となっています
感情的にならず、ニュートラルなスタンスで事実だけを提示して下さる良動画ですね!武田鉄矢先生にも是非視聴していただきたいです。
司馬遼太郎さんの小説は「竜馬がゆく」であって「龍馬がゆく」ではないですからね。今風で言うならば「この本語りはフィクション云々」となるわけですね。
確認はしていませんが司馬さんが『これはフィクションです だから字を1つ変えました』と語っていたと言う事です
教科書も竜馬ですよ。龍馬でも竜馬でも、どっちでもいいんですよ。
この動画のタイトル画面にも使われている坂本龍馬の写真がそもそも元の写真を大幅に加工しまくった「ほぼCG」と言える物であるのが何やら龍馬像というのを象徴しているようで興味深い。加工して加工して加工しまくっている訳である。
歴史の事実と坂本龍馬という物語の面白さは別ってことで。
それが分かっているうえで楽しんでるならば良いのですが実態はそれを真実と思い込み さらに創作をこれでもかと作りまくっているから変な事になってしまうんで
関ケ原の戦いが史実と物語は別だというのと同じだと思います。史実だと天下分け目の戦いって感じではないけど、物語は面白さがありますしw
なかなか切り離して考えられないからねどうしても
坂本龍馬が教科書から消えかかった理由・薩長同盟→物語の創作・大政奉還→単なる耳学問薩長同盟を締結させた人物小松帯刀(西郷隆盛の上司)こまつたてわき島津久光(薩摩藩 国父)しまづひさみつ久光がYESかNOを言うかで決まる船中八策→耳学問勝海舟、大久保一翁(おおくぼいちおう)、佐久間象山が言ったことをまとめて言ったのが船中八策 龍馬オリジナルではない
オリジナルじゃなきゃいけないのかな。
そうだったんだ。龍馬ファンだったけど事実じゃなかったんだね。本当のことが分かって良かった。ありがとー。
暫定的な史実に照らして物語の虚構性を指摘してゆくのも面白いですが、次の段階としては、なぜそのような歴史像がその時代の人々にグっときたのか、書き手が依拠した歴史研究やイデオロギーは何か、他の作品や学術言説などにどのような影響を与えたか等、多角的な思想史研究の問いに視点を移せると、知的実りがより豊かになると思います。
坂本龍馬暗殺も、当時有名なのは中岡慎太郎で、ターゲットは中岡慎太郎でついでに殺された説も聞いたことがあります。
歴史上の人物がドラマ化される過程で美化されるのはこれはもう物理現象のようなもので仕方がない。特に織田信長と坂本龍馬の二人は小説・テレビドラマ等の創作回数が多く、これは端的に美化が繰り返されるという事になる。信長の場合は『信長公記』という根本的な伝記があるからまだいいのだが坂本龍馬の場合はそもそも伝記すら残っていない。明治時代に書かれた小説で人気が出たらしいがその小説には「薩長同盟の立役者」「船中八策」の有名なエピソードがないとか。龍馬伝説は明治から昭和にかけて長い時間を費やしてコツコツと創作されたらしい。
10年前くらいによくこの手の話を知恵袋で回答してたな、確かに坂本龍馬は狂信者が多いから、事実書くと発狂する回答者が結構いたんだよね・・・・・。
良い動画です。
日本全国を猛スピードで旅をしていた徳川光圀公。白い馬(サラブレッド)に乗って海岸線を駆け、暴れ回る徳川吉宗。お白洲の時に刺青を見せる金さんこと遠山 景元。十人の勇士がいた真田幸村こと真田信繁。全部実在した人物だが、全部創作。坂本龍馬もこれでいいじゃないか。
大変興味深い動画でした。ありがとうございます。参考文献として挙げられていた本も読みたくなりました。龍馬が実際にどれほど重要な役割を果たしていたのか今後の研究で明らかになると面白いですね。それによっては暗殺事件の意味合いも大きく変わるかもしれません。
最近観た歴史動画のなかで一番面白かった。
司馬遼太郎の作品は太平記と同じく歴史小説であり歴史では無いと言う事ですね。我ら凡人は太平記史観から抜け出す事が大変なように司馬遼太郎史観から抜け出すのも大変だ‼
なるほどやはり世に広く知られてる英雄像てな脚色が多いものですね三国志の史実と演義みたいだ
ありがとうございました。登録させて頂きました❣️
そもそも坂本龍馬の小説は、高知の「土陽新聞(現高知新聞)」「汗血千里駒」に明治16年に連載された事に発端する。後に岩崎弥太郎に取材した内容が元のようです。日本中の人が龍馬を知るのは戦後の大河ドラマ「竜馬が行く」を見てからです。
戦前の教育では中岡慎太郎の手柄が全て坂本龍馬のものになっていてビックリした。シベリア抑留から帰ってきたら世の中変わってた。
興味深い楽しいお話し、ありがとうございます✌️ シベリア抑留は耳学説ですね🤪
司馬遼太郎の小説は、史実に忠実だというイメージがあったので、驚きました。歴史の新事実、面白いです。たくさん配信してください。
新選組の沖田総司は実際は平べったい顔で「ヒラメ」と呼ばれていたのに司馬遼太郎が美男子として世に広めたというのを聴いたことがあります。司馬遼太郎は自分の足で歩いて取材もされていたようですが、小説なので面白くするためとか当時はまだ見つかっていない資料があったりとかで創作と史実が混ざっているのでしょうけれど、読み手には全部が本当にあったことに思えてしまうのでしょうね。
あくまで小説なんですが、創作臭さがなくて史実のように読者が感じてしまう。学問的には、ある意味悪魔の書ですよね。
そんな人初めて見たわ。『国盗り物語』とか明智光秀がまるで忍術使いであるかのような記述があるんだから、子供の頃から司馬先生の小説はすべて創作(だからこそ面白く文芸価値がある)と思って読んでたけどな。
そもそも本人が史実とは別物だって言ってるのに、周りがそれを聞いてくれなかったんだよ、その挙げ句に歴史観を歪めたみたいに悪者扱いされるときもあるから気の毒な人だよ
司馬遼太郎はフィクションだらけですよ。小説としては面白いですけど。歴史学者ではないですね。
今どき司馬史観を信じてる人がいる事に驚いた
高知県民は信じてる人が9割です。当たり屋・鐘でした解決するヘタレ・刀🔪オタクで腕は無いが購入で借金苦してた‥史実を口👄にするとキレますよ
司馬「史観」と云う言い方が草司馬遼太郎の本来の史観は当人の太平洋戦争への従軍から来ていて、従軍中の「なんか変だね」と云う厭戦気分から来ているので、特攻精神が「天皇陛下万歳」か「おかーさんありがとう」なのかの違い。
そもそも坂本龍馬を世の中に引っ張り出した新聞記事”葉山の御夢”が、もう・・・ね😅
坂本龍馬と司馬の竜馬を同じと考えている人間が沢山いますよね!武田鉄矢などは特にそうですね!この動画を見せてあげたいですね❤
これはおとぎ話ですよ、って言う意味合いも込めて「竜馬」なんだろうね。聞いていて楽しい、面白ってもんは疑うべきなのにね。
武田鉄矢さんは、竜馬がゆくで惚れ込んで漫画の原作まで書かれてますが、そこなところは、ちゃんとわかつたますよ。にわか竜馬ファンでないからね。
土佐藩の郷士である坂本龍馬が脱藩して幕末動乱期に活躍したという事実は変わりません。ただし、『竜馬がゆく』の創作部分を認識しておくことも大切だと思います。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は「フィクション」としては面白いんだけどいい歳したおじさんがあれを「史実」にして酒飲み話をされると頭が痛くなるんだよなあ。
坂本龍馬は、薩長にとって体の良い『使い走り』『便利屋』だったようにも感じられる。結局何処まで行っても歴史的な立ち位置は─主役ではなく─脇役であり、一歩間違えれば『その他勝利大勢の一人』として歴史に埋もれてしまったのかも知れない。ところが死後暫くして、様々な思惑をもった人物によって引っ張り出され、多くの人々に知られるようになったのは、(ある意味)希にみる幸運児でもあったと言える。
事実としてお話します。同じ土佐藩の重役である寺村作善の慶応3年の日誌に、西郷・大久保といった面々との会合の出席者の氏名を「我が藩の巨魁なる坂本龍馬・中岡慎太郎も同席にて・・」と記しています。そして龍馬が暗殺された後に土佐藩の福岡孝弟は越前の松平春嶽へ拝謁し、事の顛末を知らせています。誰も気に留めない人物であれば、このように重職にある人たちが、せわしく動くとは思えませんよね。
@@sakawayo608 なるほどそうなのですね。ありがとうございます。そうなると司馬遼太郎の小説等で現在のように世間に知れ渡ることが無かったとしても、歴史専門家や研究者からは「知る人ぞ知る」人物として─現在のように人気者になるかどうかは別にして─評価されたのかも知れませんね。
@@黑き史 さんへ。その通りと思います。維新後の歴史上の人物は坂本龍馬の存在価値は分かっていたと思います。だから維新後の薩長政府に嫌気を感じた人達が、龍馬をかつぎ出して宣伝したと言えるでしょう。(日露戦争前の「皇后の奇夢」の話がいい例です)
グラバーのな
明治維新で最も日本の為に決断したのは慶喜公だよね‼️イギリスやフランスの植民地にならずにすんだのも大政奉還で終わらせたはずだったのに会津藩や長岡藩を朝敵として殺戮を見せしめの様にやった‼️話せば解るなんて奴はそうはいないよ‼️暴力革命だよ‼️
つまり、歴史の教科書にわざわざ乗せなくてもよい人物だということかな。個人的には、ずっと前から薩摩藩と長州藩の【使い走り】っていうイメージだったんだけど…
いつの時代も便利な駒として都合良く使われる龍馬様
龍馬の史実を世間が勘違いしたのは司馬遼太郎の竜馬が行くと漫画、おーい龍馬だろう。坂本家は身分が低いなんて事はなくて、実際は富豪、幕府に貸す側。
もともとは、ローカル新聞の連載物として見出された人物。(もちろん、土佐ね。薩長閥の全盛期に土佐にも英雄は居ないかってね。土佐藩は倒幕・明治維新にほとんど関係無いから、脱藩した連中からとね。)その連載物が地元で人気が出て、全国紙へも転載。それとほぼ同時期に、皇后の夢枕に竜馬が立ったと侍女が新聞社に。(もちろん、その侍女は土佐出身だとか)それで一気に全国的に知名度が知れて人気者に海神扱いにされて、小学校で習う歌の中にも出てくる有名人に。司馬遼太郎の前の話。ここでも司馬遼太郎が坂本龍馬神話の火付け役みたいな勘違いされてる方が多いけど。戦前の方が異常なんよ。
薩長同盟における坂本龍馬の(薩長両藩の立会人的な)証人説も疑義が提起されていますよね? 薩摩には薩長同盟に関する公文書的なものが一切なく、木戸孝充が藩に報告するにあたり証人となったレベルで、薩長同盟の書面に龍馬の署名があるとされていますが、当時としては珍しい朱色の墨で為されており明治期に加筆されたとの説も…。まあ、司馬遼太郎の書籍は、龍馬ではなく竜馬・・・極端な話、水戸黄門・暴れん坊将軍的な歴史フィクションとすればよろしいかと思います。
良い作品です。ありがとうございます。
司馬遼太郎さん自身、竜馬がゆくは、坂本龍馬のりょうの字を変えて小説だから、と、言ってたみたいですけど、見事に、歴史が変わりましたね。 歴史作家の書いたのが、独り歩きしましたね。
何年か前某テレビで虚構の英雄坂本龍馬を放送していた、明治維新で薩摩と長州は利益を得たが土佐は得るものがなかったので虚構の英雄坂本龍馬ができた。
明治維新で薩摩が利益を得たとするご意見は修正して頂きたいと思います! 江戸期の薩摩は佐渡金山の二倍以上の金産出の藩でした。 不思議と知られておりませんね。それの莫大財を藩の為でなく富国強兵に使っておりました。 長崎に初のドック式造船所を造り大坂に綿糸機三千台からなる蒸気式の近代的紡績工場を造り綿織物産業の礎。 横須賀の造船所も島津家の資金ですね。そして、西郷どんと大久保が無責任な西南戦争ですね。 お金を使っただけで故郷の破壊者でした。
明治に同人誌書いた本人は史実として残ったことに驚いてるかもね
龍馬は司馬遼太郎の小説が元。
面白かったです。船中八策を作った竜馬については、いくら何でもかしこすぎやろと、自分も以前から随分違和感を感じてました。でも竜馬の活躍が今に伝わる話の半分でも十分に魅力的なのは間違いないですね
未完に終わった「風雲児たち幕末編」も、ほぼ薩摩、長州、幕臣の描写で占められ、龍馬は雑魚キャラ扱いになっていきました。みなもと太郎氏も当初は龍馬中心で描こうとしていたようですが、史実を調べていて無理と気がついたのでしょう。
司馬遼太郎の作品大好きですが、どのタイトルも展開が似ていて段々飽きましたね…。坂本龍馬の事跡、作中ですと八面六臂過ぎて身体が足りない印象有りましただけに、納得でした。
実際、龍馬は歴史の片隅に埋もれていたような人物で、司馬遼太郎さんの小説で、今の龍馬像が定着した感がある。個人的には人物ではないと思う。
参考文献の『龍馬暗殺』を書いた歴史研究者は、“きりの さくじん”先生です。鹿児島県のご出身で本能寺の変の研究でも超有名。
ご指摘ありがとうございます!訂正させていただきます。
3:44あたりで「薩摩藩上層部の思惑(しわく)の下~」とおっしゃっていますが、前後の意味から思惑(おもわく)が正しいと思います。
ご指摘ありがとうございます。おっしゃる通り、「おもわく」ですね。読み違えてしましました。固定コメントで訂正いたします。
@@nihonshi-salon このコメントを固定した方が面倒が少ないと思われ。
みずほ銀行を中途退職してふらふらしていた人物になぜか白羽の矢が立ち、三井住友銀行とみずほ銀行の経営幹部のご指名で、重要な経営判断を打ち明けられ、潤沢な活動資金を与えられ、対財務省工作と両行提携の下工作を託され、業務提携約束の証人になることを頼まれ、さらには提携後の業務計画策定にまでその意見を取り入れられて参考にされる。そして、数年後、両行は業務提携を大々的に発表するにいたり、その人物は功労者として称賛されるも、惜しいかな、不意の病に倒れ敢えなく…。(もちろん架空のよたばなし。)あり得ますう?そう、定説と違う仮説思考すると、誰が龍馬の口をふさいだ、あ、いえ、暗殺したかもいろんな答が出そうですね。
みずほ銀行中途退職~なら、第一勧銀、富士、興銀の合併話をまとめた高知銀行中途退職者が~でいいのではないかと、のちのちまで内部がまとまらないみずほ銀行=明治政府じゃあんまりですかね。当時ありえないと思われた薩長同盟からすれば、さくら銀行と住友銀行の合併をまとめた尼信中途退職者の方がいいかも。
何事も鵜呑みにすべきでない。
そもそも、あまり新説がないような・・・船中八策以外は「竜馬が行く」でも書いてあるのでは?
辻褄があわない疑問が少し埋まった気がする
司馬遼太郎の小説面白かったですね😁小説なので面白いかどうかはとても重要です。別に偉人のように書いてるわけではないですしね。最新研究と言われても何か名前を売るための説のような感じですしね。後で作られた伝記が史実でないと断言もいかがなものか?まあ話し半分な感じです。面白いですが。どちらにしても魅力的な人物であることは間違いないと思います。
成し遂げたものがないだけで、西郷や桂ら他の偉人達が龍馬について語ったとした言葉が多くあるからそれらの言葉が全て嘘だったてことにならんかぎり、それなりの人物だったとは思うけどね
同感!最近の「1じゃ無ければ0」みたいな考え方にはウンザリします(´・ω・`) ゴルバチョフが一人で渡米してレーガンと覚書を交わして、その場に居合わせただけの無名のメキシコ人パンピーに裏書きしてもらう訳ないだろって思いました(笑)
@@alienloveyoutube 薩長同盟裏書のやつね なんでもない奴にそんな大事な書類にサインさせないわな 創作、脚色は多い人物だろけど当時歴史を動かそうとした人物達の多くと交流があったのは事実だろからそれでいーじゃんて感じやね俺は
確かに最近の研究によって龍馬は評価が落ちてることは確かですね。しかし龍馬の功績は一脱藩志士としてはかなり大きいものなので、龍馬を単に否定する人が増えないことを願っています。
薩摩藩が諜報員として多数抱えた他藩出身の浪人、その多数の中の一人とういう評価だと思います。
@@夜間飛行-r9rそういった内容の書かれた当時の文献等を知りたいところです。
近々教科書から消えるって話を聞いたなあ。「おーい竜馬」原作であり龍馬ファンである武田鉄矢さんの心中はいかなものでしょうかねえ・・・「風雲児たち」のみなもと太郎先生は龍馬が活躍?する時期を描く前に亡くなられたけど天国で内心ほっとしているかも。
司馬氏にはウンザリ。好きで沢山読んだのにな😢物語を史実と捉えてしまった自分が悪いのだけど😣
だいたい史実通りの内容でしたね。言葉を選ばずに述べるなら「それ程大した事は無い」人物であったと。美化されてるところが多いんですよね。でもそうなると、尚更なぜ暗殺されなければならなかったのだろう・・・という謎が深まるばかりで。やっぱり幕末は大好きです。勿論龍馬も。
「寺田屋事件」の指名手配犯だったから京都見廻組が殺しただけです。当時はカリスマな人物として有名じゃないし、見廻組にしてみれば、テロリストを始末しただけで、暗殺という思いはなかったと思います。作られた人物像のせいで謎だと、騒いでいるだけです。
「本当は中岡を狙って龍馬は巻き添え」説も中岡は暗殺仕損じたことになるし。龍馬は見事に急所を狙って仕留めてるのに中岡は何ヶ所も切ってて仕留めそこねてるというのも謎。
暗殺説があることから、逆に重要人物だと思われることになったのでしようか?
幕末の重要人物であるからこそ、暗殺されたのです。その点から真実を知る一歩になると思います。
@@氷河-p2x 手駒で重宝してたが、いつの間にか日本の国益重視に動き出す龍馬さんに脅威を感じ始めた1団に殺られた可能性あり?。近年も有名な方が何人も…。
ただの浪人が海援隊を結成するだけの資金をどうやって手に入れたか、ずっと疑問でした。薩摩藩海軍の一部であったなら、なるほど納得です。
竜馬は28歳位まで殆ど歴史には出てこないって聞いた事あるな。今のイメージは、大体が司馬遼太郎の「竜馬が行く」でしょ。坂本龍馬にしても宮本武蔵にしても、司馬遼太郎や吉川栄治の小説が元になってて、事実は違うのは有名だと思ってたんだけどな。まぁ、それだけ小説が面白かったってのはあるのかもしれないけど。
竜馬大好きな武田鉄矢に見解を聴いてみたいなあw
@@ts7049 武田さんは龍馬ではなくて竜馬が好きなんでしょうね
坂本龍馬の顔を福山雅治だと思っていたら中井貴一だったようなもんだよ
アホみたいに龍馬ヅラする武田鉄矢によーく教えてやってくれ。
桂浜の坂本龍馬像はいつ建てられたんですか?司馬さんの龍馬がゆくの後ぐらいなのかな?
こんな創作のような人物が日本史上最高のヒーロー、偉人中の偉人として認識されている日本って大丈夫なのか??歴史は史実に基づいて評価されるべき。
自民族礼賛を目的としたプロパガンダが広く大衆に「事実」なんて認識されているような世界一の歴史修正主義国家だからな。韓国よりはるかに酷い。江戸時代礼賛言説なんてその大半がデマに基づいている。
たった160年ほど前の出来事なのに、史実と創作がごっちゃになってたり、また新たな創作も次々と生まれる。これも歴史の面白さよなあ。
A historical novel should be written based on the historical facts.
高度成長期の昭和の時期に司馬遼太郎の小説が世相に押されるように持て囃され、テレビの大河ドラマで火が着いた「坂本龍馬」。33歳の若さで幕末を駆け抜け、後の明治維新の影の立役者と、つい最近まで波瀾万丈の人生を送った悲劇のヒーローとして私もそのストーリーを信じて止まなかった。しかし、その龍馬の人生を含め様々な出来事は司馬遼太郎の創作と史実を結びつけたフィクション。時間が経つにつれ、まことしやかな庶民の歴史となってしまった。坂本龍馬を始め傑出した人物達や幕末から明治にかけての研究、検証が近年進むと劇やテレビ、教科書、特集の雑誌などで随分と史実と違うことが報告されている。龍馬の後ろにいた資金提供者(大名、藩主や欧米人など)の繋がりを詳細に調べれば、これからまた新しい真実が発掘される事でしょう。少々戸惑いもあるが、歴史好きにはたまらないね・・・正に「事実は小説より奇なり」
暗殺しようとした勝海舟の話を聞いて、護衛する側になった。その話が本当である限り、人の話を聞き、理解し、己の信じる道を進むその姿勢は見習うべきものであり、その理想の姿も消えることはない……です。
小学生の頃は竜馬とか勝とかすげぇと思っていたけど、最近はアレだなと思ってる竜馬は実は過大評価だったのでは? とか勝は人の褌で功績を稼いだヘタレだとか
龍馬の行動に関しては創作が独り歩きしていることは龍馬を研究すればよくわかる。この動画も史実であるのか創作であるのかは、きっと永遠の謎になるでしょう。
判り易い解説、ありがとうございます!土佐藩の脱藩浪士が、薩長同盟の重要人物とされているのに違和感を感じていたのですが、こちらの動画を拝見してスッキリしました。現代に定着している竜馬像は、政府がメディアを通じて作り上げたものだったのですね。
司馬遼太郎の小説で 竜馬がいく の文字どうり龍馬ではなく竜馬だ‥かなりの創作があることを匂わせている。この小説で何十年も忘れらった人物に脚光が当たったため人物像が肥大化したのだろうと思う。無名に近い人物を通じてこの幕末の時代がどうであったことを小説にしたつもりであったが‥それに反してこの時代のことよりもこの人物に注目を集めてしまったということなのだろう。
司馬さんの本は、小説だから、面白くないと売れないんですよ。歴史に興味を持つきっかけになればいいんですよ。ただ作中にある竜馬がアメリカ型の民主主義を目指していたというのは、司馬さんの思想を竜馬を使って読者に刷り込もうしているようにも見えなくはないけど。もっと真実を知りたい人は、いろいろな角度から勉強すればいいと思います。私は、明治維新を成功させた功労者は、廃藩置県を受け入れた、殿様達だったと思います。
面白く拝見しました。その2②薩長同盟と坂本龍馬 薩摩と長州が禁門の変で対決した直後、西郷隆盛は長州を厳しく処分すべきと考えていました。そこで元治元年9月、大坂で幕臣勝麟太郎と会談するのですが、勝は、「今の幕府は頼りにならない。これからは、薩摩、越前を始め、長州も加えた雄藩連合による共和制へ移行すべきだ。」と言います。この雄藩連合は先代藩主島津斉彬も唱えていましたが、それは飽くまで雄藩も幕政に参加するというものでした。しかし、勝は「雄藩連合が幕府に代わる」というのです。西郷はこの話に強い衝撃を受け、以後長州厳罰論を撤回し、将来の雄藩連合に備えて長州との和解を考えるようになりました。その直後龍馬も西郷を訪ねるのですが、勝の元で私設秘書のようなことをしていた龍馬は、当然勝やその上司である大久保忠寛から雄藩連合の話は既に十分レクチャーを受けて自説にしていたでしょうから、西郷は龍馬からも長州との融和を勧められた筈です。 その後、勝は失脚して江戸へ召喚され、神戸海軍塾も解散となり、龍馬ら塾生は行く場を失いました。そこで、勝は江戸に戻る前に西郷に龍馬らの庇護を頼んだでした。しかし、薩摩藩の実権は藩主の父である島津久光が握っており、西郷に独断で受け入れを決める権限はありませんでした。西郷には久光の承諾を得ずに独断で行動し、沖永良部島へ流された苦い経験もありました。そのため、家老小松帯刀に相談したところ、当時薩摩藩では蒸気船2隻を購入したばかりで、船員が不足していました。龍馬ら元塾生庇護の話は船員不足を解消するのに文字どおり「渡りに舟」だったのです。但し、鹿児島で生まれ育だち、外を知らない久光は大の浪人嫌いで有名でした。そこで小松は久光に上申して裁可を得た上で龍馬ら元塾生の受け入れを決定したはずです。史料では確認できないものの間違いのないことでしょう。元塾生の数は8人であり、これだけの人数の浪人を久光に無断で鹿児島に受け入れることはあり得ないからです。 かくして龍馬が鹿児島にやって来たのは慶応元年5月1日のことですが、これは「龍馬を含め、薩摩藩の海軍建設に向けた、具体的には士官、船員として期待されての鹿児島行き」(町田明広「新説 坂本龍馬」106頁)だったのです。このように操船技術を期待されて鹿児島に呼ばれた龍馬ですが、同月16日には長州へ向けて旅立つのでした。他の塾生が小松に引率されて長崎に向かい、予定どおり操船業務に就いたのに・・です。この点につき、歴史家の一坂太郎は、長州との和解を目論んだ西郷が、長州の内情を探索させるため龍馬を工作員として派遣したという新説を発表し、一時期話題になりましたが、果たしてどうでしょうか。工作員なんて、少し気の利く者なら誰でもできることなのに、操船という特殊な技術者である、しかも元塾生のリーダー格である龍馬をわざわざ工作員に使用する理由が薩摩藩にあったのでしょうか。
訂正 お恥ずかしいことですが、訂正です。私は、勝が西郷と面談した直後、龍馬も西郷を訪ねたと書きましたが、これは誤りです。「大西郷全集」に収められた西郷の勝海舟へ宛てた元治元年9月11日付けの手紙に、「今朝下坂仕り候。ご都合に依り何れの御旅亭に参上仕り候・・」とあり、また、同日付けの海舟日記に西郷、吉井幸輔らと面会したことが記されています。 「下坂」とは坂下、つまり坂本のことで、西郷が龍馬に仲介を頼んで勝と面会した経緯がうかがい知れます。また、西郷と勝の面会の席上に吉井幸輔も同席した訳ですが、吉井は龍馬と懇意だったので(吉井は最後まで龍馬の身を案じていたことが、遭難直前の龍馬の手紙から分かります。)、西郷、勝の面会席上に龍馬も同席した可能性も窺われます。 つまり、龍馬は勝よりも先に西郷と面会していたことは間違いなく、西郷の手紙からは、「今朝下坂仕り候。」などと既に龍馬と面識があったような気安さも感じられます。この辺りになると、我々市井のマニアではどうにもなりません。先生方の今後の研究が待たれます。
薩長同盟は龍馬の他にも月形潜蔵とかが絡んでいたようだよ。
薩長同盟は福岡藩士の功績も大きい。龍馬像は過大評価もいけませんが過少評価もいけませんね。最近は龍馬さんについて一段落ついたように思えます。逸話が出る時代背景なんかも見てみると面白いかもしれませんね。
坂本龍馬が何処の藩にも所属していないから使い勝手が良かったんでしょうね。トカゲの尻尾みたいな存在だったのでは?
こんな重要な書類に直接仲介もせず重要重要人物でもない坂本龍馬が裏書しますかね?
司馬遼太郎の「坂の上の雲」をよんだとき、「司馬の小説は講談だ」、「著者は講談師以上に、見てきた様な嘘をつく人物だ」と判断しました。 司馬史観がどれだけ歪んだ歴史像を作り出しているかを、丁寧に明らかにしていただきたいものです。
転勤で四国のインフラメーカー勤務していた事がある。高知人は談合の名手だった、どんな場合でも話し合いを行う。今回は叩きあいに、談合は無理と我々東京人は思っても相談が成り立つ人達だった。聞き及ぶところの竜馬の薩長同盟の仕事、あの土佐人たちを思い出す。いい男達だった東京人には好かれるだろう、勝みたいにね。
最近の龍馬下げ運動はすごいからね加来耕三という人が龍馬が北辰一刀流までやってないと言ってたからなちゃんとその後目録が発見されているのにもかかわらず
下げというか史実を検証すると、たいしたことない奴だった、となってるだけで、これを創作や妄想でないことをあることにしてた謎運動の方が異常なんよ
グラバーのパシリ坂本龍馬。イギリスの武器商人グラバーの使い走りだったから、当然将来貿易をやろうと思ったんでしょうね。坂本龍馬は長州の創作。
司馬遼太郎自身が『自分の小説で史実に忠実なのは、坂の上の雲、だけだ』と述べているつまりその他の作品は、実在の人物をキャスティングした創作である、ということ司馬遼太郎の小説を、事実と誤認している人の多いことよ
なんな武田鉄矢も赤いきつねと緑のたぬきも揺らぎました
本当の歴史を知りたければ、小説ではなく「坂本龍馬関係文書」等の書籍を読むことを勧める。
高知は、勝手に維新の10傑にも坂本いれてます嘘は、いけないですよね。ホームページにも載っけてます。ありえません。真実を載せるべき
「汗血千里の駒」や「竜馬がゆく」については知られているし、小説ですからそのように読むわけですが、数々の新説異論が絶えないのもまた龍馬の魅力じゃないかと思っています。ただ、船中八策については、では誰が創作した物でしょうか?慶應丁卯十一月 坂本直柔の署名の入った建白案は誰が書いたものだと言っていますか?
【訂正】
3:44頃 「薩摩藩上層部の思惑(しわく)のもと~」と読んでいますが、正しくは「思惑(おもわく)のもと」です。
5:52頃 1886年としていますが、正しくは1866年です。
大変失礼いたしました。
メインテーマとして取り上げられた”坂本龍馬”がの名前が”阪本龍馬”になってたりするのも気になりました…😅
@@analysis0505 こちらは本のタイトルのため誤りではございません。
@@nihonshi-salon
書物によって名字の表記が違うこと教えていただき感謝です。
ありがとうございます😄
近藤長次郎を語るなら土佐藩出身で高知城下の饅頭屋な出で、勝海舟とも面識ある人物と言わないと。
あと、薩長同盟は坂本龍馬の功績とは誰も思ってないでしょう。
中岡慎太郎や他の土佐・薩摩・長州の藩士とかも関与してないとできないでしょうから。ただ、その場に居たから裏書きを頼むような事にはならないのでは?
「1866年」ではなく「慶応二年」ではないですか?
司馬遼太郎の書籍は歴史資料として扱ってはいけない
坂本龍馬関連の記事を執筆した歴史作家たちはどう反論する?。
そうなんですよね(笑)まあ、戦後生まれの人間の殆どが司馬遼太郎が描いたフィクションである坂本龍馬を信じてますがね。
私の爺さんたち(100歳以上)は坂本龍馬?よう知らん。と口をそろえて言ってました。なお、「薩摩の腰抜け」は合言葉だったようです。
史実風フィクションと分かってて読む分には面白いよね
三国志演義みたいな感じ
どれもあてにならんよ🤣 明治維新を美化する為の裏側の御都合主義、、今目の前にいる人々とそんな変わらん🤣 現実が真実でよくねえ😆
池宮彰一郎もダメですか?
人はなぜ、歴史小説を事実と思い込んでしまうのか?
高々150年前の自国の歴史を紐解くのにすらこれだけの苦労。「歴史とは勝者による創作物」とはよく言ったものですね。
ちなみに動画内で使われてる「長州藩」も存在しませんしね。正確には「萩藩」です。歴史はみんながそう思い込むとそれが事実となってしまいますよね。
これが戦後体制です。歴史は勝者にとって都合の良い歴史に塗り替えられます。この件は長州人の私には常識です。坂本、いや司馬をもてはやした理由も良く分かりますよね。
30年ほど前だったか、その家の家主が急に「ここが亀山社中だった」と言って見学できるようにした(ただの古い家だが)。無料で見学できたが、募金箱が置いてあり家主がその前に座っていた(募金箱は透明な箱で小銭が入っているのが見える)。
近所の住民達は、「誰も聞いた事がない話だ」と笑っていた。
しかし今では、亀山社中記念館となっている。
行った事があります
龍馬が付けた刀傷が柱にあって
ありがたく見た覚えがあります
眉唾物だったとは・・・
類似した話しで京都市伏見に幕末の寺田事件の現場の船宿寺田屋がありますね。 鳥羽伏見の戦いで焼失したのですが、船宿寺田屋が造られて人気観光スポットになりましたね。
歴史愛好者の抗議で京都市が調査して家主が白状しました。
再建した物として、大変な人気です。 坂本龍馬絡みです🙇
@@田中功-i5q
刀傷?家の中まで入ったのは開業当初のみですが、当時はありませんでした(少なくとも寺田屋のように説明はなし)。後からそういう話になったのかも知れません。
@@中野善行-h6t
寺田屋に行ったのは40年程前になります。「司馬遼太郎の小説は史実に基づいて書かれている」とマスコミが紹介していた頃です。皆が触って黒光りした刀傷や風呂場を見て「よく当時のままで残してあるなぁ。司馬氏の小説は事実に基づいているなぁ」と感心した憶えがあります。今は「入場料返せ」としか思いませんが・・・
@@おこ-b4w 行ったのは確かに30年くらい前です。確か床柱か何かに傷があり案内の人だったか付箋のようなものだったか忘れましたが龍馬がつけた刀傷だと説明がありましたよ。
なるほど そうなの〜 と思う事ばかり面白いです。60過ぎてやっと自分の時間が持てるようになり今年からユーキャンの「大人の学び直し日本史講座」というのに挑戦しています。このチャンネルも見させて頂き、勉強させて頂いてます。わかりやすく家事の合間にパッと見て気分転換させて頂いてます。ほんと楽しいです。ありがとうございます😊
英国側の資料から竜馬は諜報要員として雇われ活動していた事実が明らかになり、紹介している本も近年出てきました。「研究者が手を出しにくいテーマ」であるというのは、単に司馬遼太郎史観に邪魔されるだけではなく、外国による日本国内での工作を広く知られたくない人々の影響、工作があるのではないでしょうか。
とても勉強になった
日本史の二大創作キャラと言ったら坂本龍馬と明智光秀
龍馬に関する創作の詳細たくさん説明してくださりありがとうございます
歴史作家の早乙女貢先生が何十年も前に坂本竜馬や高杉晋作の虚像について書かれていました。吉川英治先生の宮本武蔵なども大衆小説としては素晴しい作品ですが武蔵の半生が余りにも虚像過ぎて歴史的観点から正しく知ろうとするには無理があります……そう言う意味では司馬遼太郎先生の坂本竜馬像も同じと言えますね。
誰がとかでは無くて小説は全部フィクションです。
僕は読まないです。
それよりも歴史研究家が書いた本の方が読んでて楽しいですよ。
@@あかいろ-w1o /いやぁ~それはある意味真理ですね ♪ そう思う僕もいるのですが……
@@山本裕介-q9g
幕末なら山村竜也さんの本がお勧めです。言うまでも無いかも知れませんが。
どちらかと言うと新撰組寄りですけど他の事でも詳しくて内容も面白いですよ。
@@あかいろ-w1o /わざわざ教えて下さり有り難うございます!
山村竜也さんの著書は読んだ事が無いので
早速探して読んでみます ♪♪
歴史小説では著者あんたは盗み聞きしていたのかと思うほど、個人的な会話が描き込まれていますからね。
概要欄の訂正も含めて、素晴らしい報告動画でした。
大学で「亀山社中についてその設立の経緯と歴史、果たした役割についてまとめてください」って課題でてるからこの動画まで辿り着いたのに、、、、
どうすればええんや笑笑
明治の御用学者の創作である と言ってあげればよろしい。なお単位についてはもらえないかとw
新説を書いてあげたらいいかと思うw株式会社?それは「創作」ですとw課題なので、ちゃんと資料名も書かないとダメだからねw
鹿児島の歴史家原口泉さんの著書 龍馬を超えた小松帯刀が、古文書調査に基づいて論証されております🙇
薩摩藩が秘密工作として亀山社中を造り、社中頭に大杉宗次郎を抜擢しておりました。 坂本龍馬は長州藩と渉外を担当です。 大杉宗次郎は内紛で龍馬に殺されました🤣
むかしNHKが歴史スペシャルかなんかの番組で
「坂本は薩摩藩から賃金を得て間者として長州の内情を探っていた」といった当時の領収書や手紙などを元に歴史考察した番組があったが
高知県民や行政からの強い抗議があり、謝罪まではなかったものの、これ以降この考察を推す番組は見られなくなった
竜馬の役割は「竜馬がゆく」以降、高知はもとより日本近代化の礎としてのヒーロー的存在でいることだ
そのような程度の人物に木戸孝允があのような手紙を書くだろうか?そして維新後に飲み友達になった山内容堂に坂本龍馬の話を聞くのだろうか?
さらに死ぬ間際まで手元には龍馬の書簡の下書きを大事に保管していましたよ。(これは近年TVのお宝番組で取り上げられて新発見と騒ぎになった)
@@sakawayo608 確かに、木戸だけでなく西郷や板垣、中岡、武市その他大勢の幕末の大スターたちが竜馬を褒めたたえたと言われていますね、
そういった私信をいくつか見つけた司馬が「坂本竜馬像」を作り上げたのかもしれません、
通説とされている船中八策も大正以降に書かれたものではないかという説が濃厚らしいですし。亀山社中も実際に竜馬がかかわってなかったかもしれないという方もおられる(曖昧
まぁ、歴史上の人物が通説とはかけ離れていたということはよくあることなので、私としては「そうかもしれないね、見たわけじゃないからわからんけど、、」くらいの雰囲気でいます。
@@paparos さんへ。
幕末の差し迫った状況から、少し安堵の雰囲気が流れたその一瞬に起こった事件が龍馬暗殺でした。
明治維新後3年も経つと幕末が遠い過去のように感じたと、志士として活動されていた皆さんが異口同音に述べています。
そうした風潮の中から実はあの人が・・ということで、龍馬もヒーローに祭り上げられていったと思います。(龍馬伝のようなもので)
でも事実を知っている人がそれを否定したら、それ以上は拡散もしなかったと思います。
幕末維新の人物で坂本龍馬は過大評価されて、榎本武揚は過小評価されている印象
榎本さんもですが、小栗忠順など他の幕臣も過小評価されてるのが残念で仕方ないですね。
個人的には幕臣が大好きです。
箱館戦争は榎本武揚抜きでは語れないはずなのに、これまた司馬さんの『燃えよ剣』の影響で土方歳三に持っていかれてしまっている。
榎本さんは明治時代からが本当の活躍の印象。小栗さんの死去は日本の損失。
現代人の坂本龍馬像って殆ど司馬遼太郎(とその小説に基づく映画、ドラマ)が作ったのでしょう。今、河井継之助の「峠」を読んでるんですが(小説なんだから当たり前)相当作者の主観で書いてますよね。
『峠』の多くは、今泉鐸次郎著『河井継之助傳』のコピペです。
龍馬さんは下級武士の次男坊だから土佐藩を動かすのは物理的に無理。
現代でいえば大企業のパートタイマー社員。
そんな龍馬だが勝の紹介を機会に西郷ドン、小松帯刀、横井小楠、松平春嶽、桂、高杉、久坂、大久保一翁、桐野利秋、武市、後藤らと交友関係があったのは凄い。
勝と龍馬、ハッタリ同士で馬が合う
勝海舟仕込みの黒船操船術で薩摩、長州、巻き込み、最終的には、郷士のせがれが、上司の後藤を動かしたというのが痛快じやありません?
現在の龍馬の史実が明治になってからの土佐藩のイメージアップの為に書かれたのは知っていましたが、紀州藩との裁判や武器商人のイメージが強かったので腑に落ちました。
土佐藩のイメージアップに坂本龍馬が登場したんじゃないよ。
日露戦争のプロパガンダに坂本龍馬が利用されて世間が知ったんです。
坂本龍馬 田中光顕、昭憲皇太后で調べると分かると思います。
時代的には汗血千里の駒の約20年後ですけどね・・。
薩長同盟も船中八策も勝海舟との出会いも書かれていない汗血千里の駒に人気が出たとは思えませんよ。
坂本龍馬も乃木希典にしても司馬遼太郎は面倒の種を残したもんです。
@@hide196944 そうでしたか。薩長土で土佐だけ明治政府内での議席の少なさに龍馬主人公の物語が書かれたと、書物で読みました。
歴史は面白いですね。
@@さん太-i5b さま
土陽新聞版では、坂本龍馬初登場は第4話であり、全68話中26話で登場しなかったそうです。
また、竜馬没後の話が10話近く記載されているそうです。
没後は板垣退助と後藤象二郎の話なのですが、作者は板垣退助の関係者です。
また、伊藤博文による板垣後藤欧州視察で落ち目になった事を不快に思っていた人だそうです。
なので、土佐自由民権運動家の自称土佐勤王党の正当継承者を主張する自由党板垣・後藤の為に書かれた物語で正しいと思います。
単行本化の際、編集者により板垣退助も後藤象二郎も退場させられたそうです。
板垣退助、後藤象二郎、中岡慎太郎、武市半平太らに関してはは地元の年寄りから祖父母らからこんな話を聞いたなんて聞く事がありますが、坂本龍馬に関しては聞いた事が無いんですよ・・。
坂本龍馬生誕地の石碑もありますが、ココ!ではなくて、この周辺かな?って程度です。
汗血千里の駒は明治16年新聞登場なので当時話題になっていたら生家の場所もハッキリと残ってると思われるが、その程度です。
板垣退助の為に汗血千里の駒が書かれ
自由民権運動の象徴になり
日露戦争のプロパガンダに利用され
大正デモクラーの自由主義の象徴となり
高知市桂浜の青年有志による竜馬像に繋がると思います。
戦中の金属供出では仙台城の初代伊達政宗騎馬像も供出されています(不使用で終戦まで放置、現在は1965年寄贈2代目)が、竜馬像は供出命令が出されていない事も政治のプロパガンダの名残りか?とも・・。
幕末の坂本龍馬の実像は、現代なら竹ニャカフェイ蔵…なん…やろか🙄🤔😵💫❔
中岡慎太郎が革命家と言えるのにたいして、坂本竜馬は幕末の混乱に乗じた単なる商売人でしかないと思っています✋ 本人も政治や軍事に興味を持っていなかったし、勝と行動を共にしていることも彼の政治的な立場を表しているでしょう。比して中岡慎太郎の評価が低いのが残念ですね。
でしかないは言い過ぎ。
彼がどれだけ身分差別なくしたいと願ったか文書に残ってるよ
司馬遼太郎の小説の存在が大きいですね。
しかし、今では「国盗り物語」はファンタジー歴史小説に近いものとなっています。
斎藤道三は親子二代にわたること、北条早雲は老人ではなかったし名前すら伊勢宗瑞であったことなどが史実となっています
感情的にならず、ニュートラルなスタンスで事実だけを提示して下さる良動画ですね!
武田鉄矢先生にも是非視聴していただきたいです。
司馬遼太郎さんの小説は「竜馬がゆく」であって「龍馬がゆく」ではないですからね。
今風で言うならば「この本語りはフィクション云々」となるわけですね。
確認はしていませんが司馬さんが『これはフィクションです だから字を1つ変えました』
と語っていたと言う事です
教科書も竜馬ですよ。龍馬でも竜馬でも、どっちでもいいんですよ。
この動画のタイトル画面にも使われている坂本龍馬の写真がそもそも元の写真を大幅に加工しまくった「ほぼCG」と言える物であるのが何やら龍馬像というのを象徴しているようで興味深い。加工して加工して加工しまくっている訳である。
歴史の事実と坂本龍馬という物語の面白さは別ってことで。
それが分かっているうえで楽しんでるならば良いのですが
実態はそれを真実と思い込み さらに創作をこれでもかと作りまくっているから変な事になってしまうんで
関ケ原の戦いが史実と物語は別だというのと同じだと思います。史実だと天下分け目の戦いって感じではないけど、物語は面白さがありますしw
なかなか切り離して考えられないからねどうしても
坂本龍馬が教科書から消えかかった理由
・薩長同盟→物語の創作
・大政奉還→単なる耳学問
薩長同盟を締結させた人物
小松帯刀(西郷隆盛の上司)こまつたてわき
島津久光(薩摩藩 国父)しまづひさみつ
久光がYESかNOを言うかで決まる
船中八策→耳学問
勝海舟、大久保一翁(おおくぼいちおう)、佐久間象山が言ったことをまとめて言ったのが船中八策 龍馬オリジナルではない
オリジナルじゃなきゃいけないのかな。
そうだったんだ。龍馬ファンだったけど事実じゃなかったんだね。本当のことが分かって良かった。ありがとー。
暫定的な史実に照らして物語の虚構性を指摘してゆくのも面白いですが、次の段階としては、なぜそのような歴史像がその時代の人々にグっときたのか、書き手が依拠した歴史研究やイデオロギーは何か、他の作品や学術言説などにどのような影響を与えたか等、多角的な思想史研究の問いに視点を移せると、知的実りがより豊かになると思います。
坂本龍馬暗殺も、当時有名なのは中岡慎太郎で、ターゲットは中岡慎太郎でついでに殺された説も聞いたことがあります。
歴史上の人物がドラマ化される過程で美化されるのはこれはもう物理現象のようなもので仕方がない。特に織田信長と坂本龍馬の二人は小説・テレビドラマ等の創作回数が多く、これは端的に美化が繰り返されるという事になる。信長の場合は『信長公記』という根本的な伝記があるからまだいいのだが坂本龍馬の場合はそもそも伝記すら残っていない。明治時代に書かれた小説で人気が出たらしいがその小説には「薩長同盟の立役者」「船中八策」の有名なエピソードがないとか。龍馬伝説は明治から昭和にかけて長い時間を費やしてコツコツと創作されたらしい。
10年前くらいによくこの手の話を知恵袋で回答してたな、確かに坂本龍馬は狂信者が多いから、事実書くと発狂する回答者が結構いたんだよね・・・・・。
良い動画です。
日本全国を猛スピードで旅をしていた徳川光圀公。
白い馬(サラブレッド)に乗って海岸線を駆け、暴れ回る徳川吉宗。
お白洲の時に刺青を見せる金さんこと遠山 景元。
十人の勇士がいた真田幸村こと真田信繁。
全部実在した人物だが、全部創作。坂本龍馬もこれでいいじゃないか。
大変興味深い動画でした。ありがとうございます。参考文献として挙げられていた本も読みたくなりました。龍馬が実際にどれほど重要な役割を果たしていたのか今後の研究で明らかになると面白いですね。それによっては暗殺事件の意味合いも大きく変わるかもしれません。
最近観た歴史動画のなかで一番面白かった。
司馬遼太郎の作品は太平記と同じく歴史小説であり歴史では無いと言う事ですね。
我ら凡人は太平記史観から抜け出す事が大変なように司馬遼太郎史観から抜け出すのも大変だ‼
なるほど
やはり世に広く知られてる英雄像てな脚色が多いものですね
三国志の史実と演義みたいだ
ありがとうございました。登録させて頂きました❣️
そもそも坂本龍馬の小説は、高知の「土陽新聞(現高知新聞)」「汗血千里駒」に明治16年に連載された事に発端する。後に岩崎弥太郎に取材した内容が元のようです。日本中の人が龍馬を知るのは戦後の大河ドラマ「竜馬が行く」を見てからです。
戦前の教育では中岡慎太郎の手柄が全て坂本龍馬のものになっていてビックリした。シベリア抑留から帰ってきたら世の中変わってた。
興味深い楽しいお話し、ありがとうございます✌️ シベリア抑留は耳学説ですね🤪
司馬遼太郎の小説は、史実に忠実だというイメージがあったので、驚きました。
歴史の新事実、面白いです。たくさん配信してください。
新選組の沖田総司は実際は平べったい顔で「ヒラメ」と呼ばれていたのに司馬遼太郎が美男子として世に広めたというのを聴いたことがあります。司馬遼太郎は自分の足で歩いて取材もされていたようですが、小説なので面白くするためとか当時はまだ見つかっていない資料があったりとかで創作と史実が混ざっているのでしょうけれど、読み手には全部が本当にあったことに思えてしまうのでしょうね。
あくまで小説なんですが、創作臭さがなくて史実のように読者が感じてしまう。
学問的には、ある意味悪魔の書ですよね。
そんな人初めて見たわ。『国盗り物語』とか明智光秀がまるで忍術使いであるかのような記述があるんだから、子供の頃から司馬先生の小説はすべて創作(だからこそ面白く文芸価値がある)と思って読んでたけどな。
そもそも本人が史実とは別物だって言ってるのに、周りがそれを聞いてくれなかったんだよ、その挙げ句に歴史観を歪めたみたいに悪者扱いされるときもあるから気の毒な人だよ
司馬遼太郎はフィクションだらけですよ。小説としては面白いですけど。歴史学者ではないですね。
今どき司馬史観を信じてる人がいる事に驚いた
高知県民は信じてる人が9割です。当たり屋・鐘でした解決するヘタレ・刀🔪オタクで腕は無いが購入で借金苦してた‥史実を口👄にするとキレますよ
司馬「史観」と云う言い方が草
司馬遼太郎の本来の史観は当人の太平洋戦争への従軍から来ていて、従軍中の「なんか変だね」と云う厭戦気分から来ているので、特攻精神が「天皇陛下万歳」か「おかーさんありがとう」なのかの違い。
そもそも坂本龍馬を世の中に引っ張り出した新聞記事”葉山の御夢”が、もう・・・ね😅
坂本龍馬と司馬の竜馬を同じと考えている人間が沢山いますよね!
武田鉄矢などは特にそうですね!
この動画を見せてあげたいですね❤
これはおとぎ話ですよ、って言う意味合いも込めて「竜馬」なんだろうね。
聞いていて楽しい、面白ってもんは疑うべきなのにね。
武田鉄矢さんは、竜馬がゆくで惚れ込んで漫画の原作まで書かれてますが、そこなところは、ちゃんとわかつたますよ。にわか竜馬ファンでないからね。
土佐藩の郷士である坂本龍馬が脱藩して幕末動乱期に活躍したという事実は変わりません。ただし、『竜馬がゆく』の創作部分を認識しておくことも大切だと思います。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は「フィクション」としては面白いんだけどいい歳したおじさんがあれを「史実」にして酒飲み話をされると頭が痛くなるんだよなあ。
坂本龍馬は、薩長にとって体の良い『使い走り』『便利屋』だったようにも感じられる。
結局何処まで行っても歴史的な立ち位置は─主役ではなく─脇役であり、一歩間違えれば『その他勝利大勢の一人』として歴史に埋もれてしまったのかも知れない。
ところが死後暫くして、様々な思惑をもった人物によって引っ張り出され、多くの人々に知られるようになったのは、(ある意味)希にみる幸運児でもあったと言える。
事実としてお話します。同じ土佐藩の重役である寺村作善の慶応3年の日誌に、西郷・大久保といった面々との会合の出席者の氏名を
「我が藩の巨魁なる坂本龍馬・中岡慎太郎も同席にて・・」と記しています。そして龍馬が暗殺された後に土佐藩の福岡孝弟は越前の松平春嶽へ拝謁し、事の顛末を知らせています。誰も気に留めない人物であれば、このように重職にある人たちが、せわしく動くとは思えませんよね。
@@sakawayo608 なるほどそうなのですね。ありがとうございます。
そうなると司馬遼太郎の小説等で現在のように世間に知れ渡ることが無かったとしても、歴史専門家や研究者からは「知る人ぞ知る」人物として─現在のように人気者になるかどうかは別にして─評価されたのかも知れませんね。
@@黑き史 さんへ。
その通りと思います。
維新後の歴史上の人物は坂本龍馬の存在価値は分かっていたと思います。だから維新後の薩長政府に嫌気を感じた人達が、龍馬をかつぎ出して宣伝したと言えるでしょう。(日露戦争前の「皇后の奇夢」の話がいい例です)
グラバーのな
明治維新で最も日本の為に決断したのは慶喜公だよね‼️イギリスやフランスの植民地にならずにすんだのも大政奉還で終わらせたはずだったのに会津藩や長岡藩を朝敵として殺戮を見せしめの様にやった‼️話せば解るなんて奴はそうはいないよ‼️暴力革命だよ‼️
つまり、歴史の教科書にわざわざ乗せなくてもよい人物だということかな。
個人的には、ずっと前から薩摩藩と長州藩の【使い走り】っていうイメージだったんだけど…
いつの時代も便利な駒として都合良く使われる龍馬様
龍馬の史実を世間が勘違いしたのは司馬遼太郎の竜馬が行くと漫画、おーい龍馬だろう。
坂本家は身分が低いなんて事はなくて、実際は富豪、幕府に貸す側。
もともとは、ローカル新聞の連載物として見出された人物。(もちろん、土佐ね。薩長閥の全盛期に土佐にも英雄は居ないかってね。土佐藩は倒幕・明治維新にほとんど関係無いから、脱藩した連中からとね。)
その連載物が地元で人気が出て、全国紙へも転載。それとほぼ同時期に、皇后の夢枕に竜馬が立ったと侍女が新聞社に。(もちろん、その侍女は土佐出身だとか)
それで一気に全国的に知名度が知れて人気者に
海神扱いにされて、小学校で習う歌の中にも出てくる有名人に。
司馬遼太郎の前の話。ここでも司馬遼太郎が坂本龍馬神話の火付け役みたいな勘違いされてる方が多いけど。
戦前の方が異常なんよ。
薩長同盟における坂本龍馬の(薩長両藩の立会人的な)証人説も疑義が提起されていますよね? 薩摩には薩長同盟に関する公文書的なものが一切なく、木戸孝充が藩に報告するにあたり証人となったレベルで、薩長同盟の書面に龍馬の署名があるとされていますが、当時としては珍しい朱色の墨で為されており明治期に加筆されたとの説も…。まあ、司馬遼太郎の書籍は、龍馬ではなく竜馬・・・極端な話、水戸黄門・暴れん坊将軍的な歴史フィクションとすればよろしいかと思います。
良い作品です。ありがとうございます。
司馬遼太郎さん自身、竜馬がゆくは、坂本龍馬のりょうの字を変えて小説だから、と、言ってたみたいですけど、見事に、歴史が変わりましたね。
歴史作家の書いたのが、独り歩きしましたね。
何年か前某テレビで虚構の英雄坂本龍馬を放送していた、明治維新で薩摩と長州は利益を得たが土佐は得るものがなかったので虚構の英雄坂本龍馬ができた。
明治維新で薩摩が利益を得たとするご意見は修正して頂きたいと思います! 江戸期の薩摩は佐渡金山の二倍以上の金産出の藩でした。 不思議と知られておりませんね。それの莫大財を藩の為でなく富国強兵に使っておりました。 長崎に初のドック式造船所を造り大坂に綿糸機三千台からなる蒸気式の近代的紡績工場を造り綿織物産業の礎。 横須賀の造船所も島津家の資金ですね。そして、西郷どんと大久保が無責任な西南戦争ですね。 お金を使っただけで故郷の破壊者でした。
明治に同人誌書いた本人は史実として残ったことに驚いてるかもね
龍馬は司馬遼太郎の小説が元。
面白かったです。船中八策を作った竜馬については、いくら何でもかしこすぎやろと、自分も以前から随分違和感を感じてました。でも竜馬の活躍が今に伝わる話の半分でも十分に魅力的なのは間違いないですね
未完に終わった「風雲児たち幕末編」も、ほぼ薩摩、長州、幕臣の描写で占められ、龍馬は雑魚キャラ扱いになっていきました。みなもと太郎氏も当初は龍馬中心で描こうとしていたようですが、史実を調べていて無理と気がついたのでしょう。
司馬遼太郎の作品大好きですが、どのタイトルも展開が似ていて段々飽きましたね…。
坂本龍馬の事跡、作中ですと八面六臂過ぎて身体が足りない印象有りましただけに、納得でした。
実際、龍馬は歴史の片隅に埋もれていたような人物で、司馬遼太郎さんの小説で、今の龍馬像が定着した感がある。個人的には人物ではないと思う。
参考文献の『龍馬暗殺』を書いた歴史研究者は、“きりの さくじん”先生です。鹿児島県のご出身で本能寺の変の研究でも超有名。
ご指摘ありがとうございます!訂正させていただきます。
3:44あたりで「薩摩藩上層部の思惑(しわく)の下~」とおっしゃっていますが、前後の意味から思惑(おもわく)が正しいと思います。
ご指摘ありがとうございます。
おっしゃる通り、「おもわく」ですね。読み違えてしましました。
固定コメントで訂正いたします。
@@nihonshi-salon このコメントを固定した方が面倒が少ないと思われ。
みずほ銀行を中途退職してふらふらしていた人物になぜか白羽の矢が立ち、三井住友銀行とみずほ銀行の経営幹部のご指名で、重要な経営判断を打ち明けられ、潤沢な活動資金を与えられ、対財務省工作と両行提携の下工作を託され、業務提携約束の証人になることを頼まれ、さらには提携後の業務計画策定にまでその意見を取り入れられて参考にされる。そして、数年後、両行は業務提携を大々的に発表するにいたり、その人物は功労者として称賛されるも、惜しいかな、不意の病に倒れ敢えなく…。
(もちろん架空のよたばなし。)
あり得ますう?
そう、定説と違う仮説思考すると、誰が龍馬の口をふさいだ、あ、いえ、暗殺したかもいろんな答が出そうですね。
みずほ銀行中途退職~なら、第一勧銀、富士、興銀の合併話をまとめた高知銀行中途退職者が~でいいのではないかと、のちのちまで内部がまとまらないみずほ銀行=明治政府じゃあんまりですかね。当時ありえないと思われた薩長同盟からすれば、さくら銀行と住友銀行の合併をまとめた尼信中途退職者の方がいいかも。
何事も鵜呑みにすべきでない。
そもそも、あまり新説がないような・・・
船中八策以外は「竜馬が行く」でも書いてあるのでは?
辻褄があわない疑問が少し埋まった気がする
司馬遼太郎の小説面白かったですね😁小説なので面白いかどうかはとても重要です。別に偉人のように書いてるわけではないですしね。最新研究と言われても何か名前を売るための説のような感じですしね。後で作られた伝記が史実でないと断言もいかがなものか?まあ話し半分な感じです。面白いですが。どちらにしても魅力的な人物であることは間違いないと思います。
成し遂げたものがないだけで、西郷や桂ら他の偉人達が龍馬について語ったとした言葉が多くあるからそれらの言葉が全て嘘だったてことにならんかぎり、それなりの人物だったとは思うけどね
同感!最近の「1じゃ無ければ0」みたいな考え方にはウンザリします(´・ω・`) ゴルバチョフが一人で渡米してレーガンと覚書を交わして、その場に居合わせただけの無名のメキシコ人パンピーに裏書きしてもらう訳ないだろって思いました(笑)
@@alienloveyoutube 薩長同盟裏書のやつね なんでもない奴にそんな大事な書類にサインさせないわな 創作、脚色は多い人物だろけど当時歴史を動かそうとした人物達の多くと交流があったのは事実だろからそれでいーじゃんて感じやね俺は
確かに最近の研究によって龍馬は評価が落ちてることは確かですね。しかし龍馬の功績は一脱藩志士としてはかなり大きいものなので、龍馬を単に否定する人が増えないことを願っています。
薩摩藩が諜報員として多数抱えた他藩出身の浪人、その多数の中の一人とういう評価だと思います。
@@夜間飛行-r9rそういった内容の書かれた当時の文献等を知りたいところです。
近々教科書から消えるって話を聞いたなあ。
「おーい竜馬」原作であり龍馬ファンである武田鉄矢さんの心中はいかなものでしょうかねえ・・・
「風雲児たち」のみなもと太郎先生は龍馬が活躍?する時期を描く前に亡くなられたけど天国で内心ほっとしているかも。
司馬氏にはウンザリ。
好きで沢山読んだのにな😢
物語を史実と捉えてしまった自分が悪いのだけど😣
だいたい史実通りの内容でしたね。言葉を選ばずに述べるなら「それ程大した事は無い」人物であったと。美化されてるところが多いんですよね。
でもそうなると、尚更なぜ暗殺されなければならなかったのだろう・・・という謎が深まるばかりで。やっぱり幕末は大好きです。勿論龍馬も。
「寺田屋事件」の指名手配犯だったから京都見廻組が殺しただけです。当時はカリスマな人物として有名じゃないし、見廻組にしてみれば、テロリストを始末しただけで、暗殺という思いはなかったと思います。作られた人物像のせいで謎だと、騒いでいるだけです。
「本当は中岡を狙って龍馬は巻き添え」説も中岡は暗殺仕損じたことになるし。
龍馬は見事に急所を狙って仕留めてるのに中岡は何ヶ所も切ってて仕留めそこねてるというのも謎。
暗殺説があることから、逆に重要人物だと思われることになったのでしようか?
幕末の重要人物であるからこそ、暗殺されたのです。その点から真実を知る一歩になると思います。
@@氷河-p2x 手駒で重宝してたが、いつの間にか日本の国益重視に動き出す龍馬さんに脅威を感じ始めた1団に殺られた可能性あり?。近年も有名な方が何人も…。
ただの浪人が海援隊を結成するだけの資金をどうやって手に入れたか、ずっと疑問でした。薩摩藩海軍の一部であったなら、なるほど納得です。
竜馬は28歳位まで殆ど歴史には出てこないって聞いた事あるな。
今のイメージは、大体が司馬遼太郎の「竜馬が行く」でしょ。
坂本龍馬にしても宮本武蔵にしても、司馬遼太郎や吉川栄治の小説が元になってて、事実は違うのは有名だと思ってたんだけどな。
まぁ、それだけ小説が面白かったってのはあるのかもしれないけど。
竜馬大好きな武田鉄矢に見解を聴いてみたいなあw
@@ts7049 武田さんは龍馬ではなくて竜馬が好きなんでしょうね
坂本龍馬の顔を福山雅治だと思っていたら中井貴一だったようなもんだよ
アホみたいに龍馬ヅラする武田鉄矢によーく教えてやってくれ。
桂浜の坂本龍馬像はいつ建てられたんですか?司馬さんの龍馬がゆくの後ぐらいなのかな?
こんな創作のような人物が日本史上最高のヒーロー、偉人中の偉人として認識されている日本って大丈夫なのか??歴史は史実に基づいて評価されるべき。
自民族礼賛を目的としたプロパガンダが
広く大衆に「事実」なんて認識されている
ような世界一の歴史修正主義国家だからな。
韓国よりはるかに酷い。
江戸時代礼賛言説なんて
その大半がデマに基づいている。
たった160年ほど前の出来事なのに、史実と創作がごっちゃになってたり、また新たな創作も次々と生まれる。これも歴史の面白さよなあ。
A historical novel should be written based on the historical facts.
高度成長期の昭和の時期に司馬遼太郎の小説が世相に押されるように持て囃され、テレビの大河ドラマで火が着いた「坂本龍馬」。
33歳の若さで幕末を駆け抜け、後の明治維新の影の立役者と、つい最近まで波瀾万丈の人生を送った悲劇のヒーローとして私もそのストーリーを信じて止まなかった。しかし、その龍馬の人生を含め様々な出来事は司馬遼太郎の創作と史実を結びつけたフィクション。時間が経つにつれ、まことしやかな庶民の歴史となってしまった。坂本龍馬を始め傑出した人物達や幕末から明治にかけての研究、検証が近年進むと劇やテレビ、教科書、特集の雑誌などで随分と史実と違うことが報告されている。龍馬の後ろにいた資金提供者(大名、藩主や欧米人など)の繋がりを詳細に調べれば、これからまた新しい真実が発掘される事でしょう。少々戸惑いもあるが、歴史好きにはたまらないね・・・正に「事実は小説より奇なり」
暗殺しようとした勝海舟の話を聞いて、護衛する側になった。
その話が本当である限り、人の話を聞き、理解し、己の信じる道を進むその姿勢は見習うべきものであり、その理想の姿も消えることはない……です。
小学生の頃は竜馬とか勝とかすげぇと思っていたけど、最近はアレだなと思ってる
竜馬は実は過大評価だったのでは? とか勝は人の褌で功績を稼いだヘタレだとか
龍馬の行動に関しては創作が独り歩きしていることは龍馬を研究すればよくわかる。
この動画も史実であるのか創作であるのかは、きっと永遠の謎になるでしょう。
判り易い解説、ありがとうございます!
土佐藩の脱藩浪士が、薩長同盟の重要人物とされているのに違和感を感じていたのですが、こちらの動画を拝見してスッキリしました。
現代に定着している竜馬像は、政府がメディアを通じて作り上げたものだったのですね。
司馬遼太郎の小説で 竜馬がいく の文字どうり
龍馬ではなく竜馬だ‥かなりの創作があることを匂わせている。
この小説で何十年も忘れらった人物に脚光が当たったため人物像が肥大化したのだろうと思う。
無名に近い人物を通じてこの幕末の時代がどうであったことを小説にしたつもりであったが‥
それに反してこの時代のことよりもこの人物に注目を集めてしまったということなのだろう。
司馬さんの本は、小説だから、面白くないと売れないんですよ。歴史に興味を持つきっかけになればいいんですよ。ただ作中にある竜馬がアメリカ型の民主主義を目指していたというのは、司馬さんの思想を竜馬を使って読者に刷り込もうしているようにも見えなくはないけど。もっと真実を知りたい人は、いろいろな角度から勉強すればいいと思います。私は、明治維新を成功させた功労者は、廃藩置県を受け入れた、殿様達だったと思います。
面白く拝見しました。その2
②薩長同盟と坂本龍馬
薩摩と長州が禁門の変で対決した直後、西郷隆盛は長州を厳しく処分すべきと考えていました。そこで元治元年9月、大坂で幕臣勝麟太郎と会談するのですが、勝は、「今の幕府は頼りにならない。これからは、薩摩、越前を始め、長州も加えた雄藩連合による共和制へ移行すべきだ。」と言います。この雄藩連合は先代藩主島津斉彬も唱えていましたが、それは飽くまで雄藩も幕政に参加するというものでした。しかし、勝は「雄藩連合が幕府に代わる」というのです。西郷はこの話に強い衝撃を受け、以後長州厳罰論を撤回し、将来の雄藩連合に備えて長州との和解を考えるようになりました。その直後龍馬も西郷を訪ねるのですが、勝の元で私設秘書のようなことをしていた龍馬は、当然勝やその上司である大久保忠寛から雄藩連合の話は既に十分レクチャーを受けて自説にしていたでしょうから、西郷は龍馬からも長州との融和を勧められた筈です。
その後、勝は失脚して江戸へ召喚され、神戸海軍塾も解散となり、龍馬ら塾生は行く場を失いました。そこで、勝は江戸に戻る前に西郷に龍馬らの庇護を頼んだでした。しかし、薩摩藩の実権は藩主の父である島津久光が握っており、西郷に独断で受け入れを決める権限はありませんでした。西郷には久光の承諾を得ずに独断で行動し、沖永良部島へ流された苦い経験もありました。そのため、家老小松帯刀に相談したところ、当時薩摩藩では蒸気船2隻を購入したばかりで、船員が不足していました。龍馬ら元塾生庇護の話は船員不足を解消するのに文字どおり「渡りに舟」だったのです。但し、鹿児島で生まれ育だち、外を知らない久光は大の浪人嫌いで有名でした。そこで小松は久光に上申して裁可を得た上で龍馬ら元塾生の受け入れを決定したはずです。史料では確認できないものの間違いのないことでしょう。元塾生の数は8人であり、これだけの人数の浪人を久光に無断で鹿児島に受け入れることはあり得ないからです。
かくして龍馬が鹿児島にやって来たのは慶応元年5月1日のことですが、これは「龍馬を含め、薩摩藩の海軍建設に向けた、具体的には士官、船員として期待されての鹿児島行き」(町田明広「新説 坂本龍馬」106頁)だったのです。このように操船技術を期待されて鹿児島に呼ばれた龍馬ですが、同月16日には長州へ向けて旅立つのでした。他の塾生が小松に引率されて長崎に向かい、予定どおり操船業務に就いたのに・・です。この点につき、歴史家の一坂太郎は、長州との和解を目論んだ西郷が、長州の内情を探索させるため龍馬を工作員として派遣したという新説を発表し、一時期話題になりましたが、果たしてどうでしょうか。工作員なんて、少し気の利く者なら誰でもできることなのに、操船という特殊な技術者である、しかも元塾生のリーダー格である龍馬をわざわざ工作員に使用する理由が薩摩藩にあったのでしょうか。
訂正
お恥ずかしいことですが、訂正です。私は、勝が西郷と面談した直後、龍馬も西郷を訪ねたと書きましたが、これは誤りです。「大西郷全集」に収められた西郷の勝海舟へ宛てた元治元年9月11日付けの手紙に、「今朝下坂仕り候。ご都合に依り何れの御旅亭に参上仕り候・・」とあり、また、同日付けの海舟日記に西郷、吉井幸輔らと面会したことが記されています。
「下坂」とは坂下、つまり坂本のことで、西郷が龍馬に仲介を頼んで勝と面会した経緯がうかがい知れます。また、西郷と勝の面会の席上に吉井幸輔も同席した訳ですが、吉井は龍馬と懇意だったので(吉井は最後まで龍馬の身を案じていたことが、遭難直前の龍馬の手紙から分かります。)、西郷、勝の面会席上に龍馬も同席した可能性も窺われます。
つまり、龍馬は勝よりも先に西郷と面会していたことは間違いなく、西郷の手紙からは、「今朝下坂仕り候。」などと既に龍馬と面識があったような気安さも感じられます。この辺りになると、我々市井のマニアではどうにもなりません。先生方の今後の研究が待たれます。
薩長同盟は龍馬の他にも月形潜蔵とかが絡んでいたようだよ。
薩長同盟は福岡藩士の功績も大きい。龍馬像は過大評価もいけませんが過少評価もいけませんね。最近は龍馬さんについて一段落ついたように思えます。逸話が出る時代背景なんかも見てみると面白いかもしれませんね。
坂本龍馬が何処の藩にも所属していないから使い勝手が良かったんでしょうね。トカゲの尻尾みたいな存在だったのでは?
こんな重要な書類に直接仲介もせず重要重要人物でもない坂本龍馬が裏書しますかね?
司馬遼太郎の「坂の上の雲」をよんだとき、「司馬の小説は講談だ」、「著者は講談師以上に、見てきた様な嘘をつく人物だ」と
判断しました。 司馬史観がどれだけ歪んだ歴史像を作り出しているかを、丁寧に明らかにしていただきたいものです。
転勤で四国のインフラメーカー勤務していた事がある。高知人は談合の名手だった、どんな場合でも話し合いを行う。
今回は叩きあいに、談合は無理と我々東京人は思っても相談が成り立つ人達だった。聞き及ぶところの竜馬の薩長同盟
の仕事、あの土佐人たちを思い出す。いい男達だった東京人には好かれるだろう、勝みたいにね。
最近の龍馬下げ運動はすごいからね
加来耕三という人が龍馬が北辰一刀流までやってないと言ってたからな
ちゃんとその後目録が発見されているのにもかかわらず
下げというか史実を検証すると、たいしたことない奴だった、となってるだけで、
これを創作や妄想でないことをあることにしてた謎運動の方が異常なんよ
グラバーのパシリ坂本龍馬。イギリスの武器商人グラバーの使い走りだったから、当然将来貿易をやろうと思ったんでしょうね。
坂本龍馬は長州の創作。
司馬遼太郎自身が『自分の小説で史実に忠実なのは、坂の上の雲、だけだ』と述べている
つまりその他の作品は、実在の人物をキャスティングした創作である、ということ
司馬遼太郎の小説を、事実と誤認している人の多いことよ
なんな武田鉄矢も赤いきつねと緑のたぬきも揺らぎました
本当の歴史を知りたければ、小説ではなく「坂本龍馬関係文書」等の書籍を読むことを勧める。
高知は、勝手に維新の10傑にも坂本いれてます
嘘は、いけないですよね。
ホームページにも載っけてます。
ありえません。真実を載せるべき
「汗血千里の駒」や「竜馬がゆく」については知られているし、小説ですからそのように読むわけですが、数々の新説異論が絶えないのもまた龍馬の魅力じゃないかと思っています。
ただ、船中八策については、では誰が創作した物でしょうか?
慶應丁卯十一月 坂本直柔の署名の入った建白案は誰が書いたものだと言っていますか?